夫と生きることで、私は何を学ぼうとしているのだろう
ふと、自分に問いかけた。
「私は夫と生きることで、この人生で何を学ぼうとしているのかな」
相手を変えることでも、
わかり合うことでもない気がした。
もっと根っこにあるもの。
① 他人はコントロールできないという真実
姿形は似ている。
同じ家に住み、同じ食卓を囲む。
でも中身はまったく違う宇宙。
「わかり合えるはず」
「正しさは共有できるはず」
そう信じていた。
けれど、違った。
違うものは、違う。
それを認めることは、敗北ではなく成熟。
② 正しさという武器を下ろす
私は考える人だ。
言語化できる人だ。
だからこそ、
「正しさ」で相手を責めてしまうこともあった。
でも気づいた。
正しさは、幸せを保証しない。
武器を下ろしたとき、
心はふっと軽くなる。
③ 精神的に自立するということ
今までは
わかってもらう
変わってもらう
気づいてもらう
そこに力を使っていた。
でも今は違う。
「私は私で幸せになる」
同じ屋根の下で、
心だけは自立する。
これは逃げではない。
静かな覚悟だ。
④ 父親像からの卒業
もしかしたら私は、
夫に「理想の父」を求めていたのかもしれない。
安心
包容
絶対的な理解
でも夫は夫。
違う人間。
姿が似ているからといって、
同じ中身だと思い込まない。
それだけで、不幸は減る。
⑤ 不完全な人への感謝
文句もある。
イライラもある。
でも同時に
生活を支えてくれている
家事をきちんとやってくれる
娘を大切にしてくれる
私が病気のとき助けてくれた
それも事実。
感謝は、完璧な人に向けるものじゃない。
不完全な人に向けるもの。
私が学んでいること
たぶん私は今、
違うものを、違うまま認めること
を学んでいる。
理解しきらなくてもいい。
同化しなくていい。
ただ、違いをそのまま置いておく。
その強さ。
もしこの学びが終わる日が来たら、
人生はまた自然に形を変えるだろう。
でも今はまだ途中。
丘の上で、風に揺れながら、
私は海を見ている。
急がない。
ちゃんと進んでいるから。

