心が震えた一冊です。木下晋さんに感謝です。
本の中で読んだ言葉で、感動した言葉を忘れないために書き記しました。
奈良広隆寺弥勒菩薩像
微笑みを浮かべた頬に添えられた手の指の表情に魅せられた。「これほど自然な造形として慈悲深い心を表すとは」「とても人間の技とは思えない…」(P45)
レンブラントの最後の自画像
その作品の前に立った瞬間、私は涙を禁じえなかった。我が身の内面を直視したアーティストの凄みというより、人は人をここまで許すことができるのだという老人の表情に、かつて自分が経験したことのない、慈愛に満ちた作者の心に包まれたからである。
若くして栄耀栄華を築き上げたはずのレンブラントは、六十過ぎの最晩年、家族を全て失い、莫大な借金を背負い、何度かの破産宣告を受けて、亡くなったときには浮浪者のように葬られた。この自画像は絶望の淵に立たされたレンブラントの、生きてある最後の姿でもあった。
ハルさんが教えてくれた色
色とは何か。まさに彼女はこれを教えてくれたのである。モチーフみると言うのは単なる視覚だけに頼ってみるのではなく、自分の全感性を通してみなければならない。触覚、味覚、聴覚など五感でみるのだ。
視覚に頼ると言うことは、照明が変わると全く見方が変わってしまう。その程度しかないわけだ。ハルさんは視覚以外の四つの残された感覚機能を駆使して高めるのだ。私たちがみている物見られる人だった。全盲で色彩概念は持たないはずだが、山の匂いや草木に触れた感覚を伝える言葉から、春の芽吹きや土の色まで体感させるような豊かな色彩感さえもイメージできたのである。(P132)
死生観の根幹にひびが生じている
「死生観の根幹にひびが生じている」と指摘したのは山折哲雄さんだ。過去から現在、未来へと「生と死」が連続するという日本人の死生観は、「生老病死」という四苦を表す仏教用語があるように、ゆっくりとした流れの中で生から死へと向かっていくものだが、「老」と「病」と神経に向き合わないまま、病院任せで「生きながら死んでいる」人や「いきなり死ぬ」人が増えていることへの器具が、その警鐘に込められている。
山折哲雄
ヤマオリ・テツオ
著者プロフィール
宗教学者、評論家。1931(昭和6)年、サンフランシスコ生まれ。1954年、東北大学インド哲学科卒業。国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。著書に『義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ』『これを語りて日本人を戦慄せしめよ 柳田国男が言いたかったこと』『「ひとり」の哲学』など多数。
村山槐多さん
木下さんが地下水脈からでた人間として紹介している村山槐多さん(p246)
村山 槐多(むらやま かいた、1896年〈明治29年〉9月15日 – 1919年〈大正8年〉2月20日)は、明治・大正時代の日本の洋画家で、詩人、作家でもある。愛知県額田郡岡崎町(現在の岡崎市)生まれ、京都市上京区育ち。母方の従兄に山本鼎(画家)と嶺田丘造(官僚)、はとこに黒柳朝(随筆家)がいる。
みなぎる生命力を退廃的・破滅的雰囲気を纏わせながら絵画に表した。ガランス(深い茜色、やや沈んだ赤色)を好んで使ったことでも知られる。