心穏やかに今ここを笑顔で
私たちが生まれた目的は魂の成長のため。覚悟を決めていざラストスパート!
読書

「ものがわかるということ」養老孟司、令和5年

他社の心を理解するというはたらきは、「心の理論」という。

発達心理学では「心を読む」と表現する。

養老先生は、「交換する」と考えるらしい。

「相手の立場だったら」と考えること、5歳児は考えられたが、3歳児には考えることが出来なかった。

「相手の立場だったら」と考えることが出来ない人、「他人の痛みが分からない人」は心が幼いのかもね~~~

 

 

 

「嫌いなことを好きだと思ってやるのが面白い」

「仕事だから」といいながら、楽しそうに仕事をしている人がいます。たぶん「その仕事が好きだ」と割り切ってやっているんです。「本当に好きかどうか」なんて分からない。でも、好きだと割り切った方がストレスは溜まりません。そうやって仕事を覚えていくと、自分の好みがもっとはっきり見えてきます。…

最後には好きな仕事をしようが嫌いな仕事をしようが、結局は同じじゃないかという気がしています。仕事とは、そういう者だと考えた方がいい。

こんな風に考えれば、「好きな仕事が見つからない」と嘆く必要もなくなります。世の中の方は、私のためにあるわけじゃありません。私たちが生まれてくる以前から世の中は先にあります。私の好き嫌いとは関係なく、既に世の中は存在している。だったらとりあえず受け入れるしかありません。それが大前提です。

「サッカーのゲームはもう既に始まっている。そこへ、君たちは選手として放り込まれる。ところが、ルールも体の動かし方もなんにも知らない。だけど放り込まれたら、周りを見ながら必死で覚えて動くしかない。それが実は、仕事をするってことなんだ。と、内田樹(うちだたつる)」

通じないという前提から始める

家族になると、お互いの「わかってほしい」度合いがぐっと上がってくるから、「どうしてこの程度のこともわかってくれないんだ」と、相手に理解を求めることになる。

夫婦みたいに非常に距離が近い関係だと、ちょっと意見が食い違っているだけで、「なんでわからないんだ」と、相手の意見をなおしたくなる。それで何時間も大げんかをしたこともあります。

そういう議論を繰り返して分かることは、「ほんの少しのことでも、相手の意見を変えさせることは難しい」と言うことです。

感覚より言葉が優位になる

動物が全部絶対音感であると言うことは、人間の赤ん坊も絶対音感を持っています。でも多くの人は、それを失ってしまう。耳の中で同じ場所が振動しているのに、それを無視するようになってします。これが相対音感です。

お母さんの高い声の「太郎」

お父さんの低い声の「太郎」

同じ自分のことだと分からないと言葉が使えないから、人間は言葉を扱う便宜上、できるだけ音の高さを無視して、同じ音、言葉だというふうに聞く様になったんです。そのためには絶対音感をなくした方が有利になる。絶対音感を持ち続けているのは小さいときから楽器訓練をして、動物的な耳の感覚を保ち続けているからなのでしょう。感覚を優先する限り、言葉は話せない。。

人間が言葉を話せるようになった一番の根本は「感覚よりも意識が優位になった」ことにある。

考えず、自分の目で見てみること

自分の目でみると言うことは、その日のその時その場で体験することで、二度と見ることは出来ない者、他人が見ることは出来ないものを見ます。だからとにかく自分で見てみることです。な人も考えないで、ただみればいい。

観察を積み重ねていくことでものを見ることができるようになる。

「わかる」の根本は、共鳴だと思う

その中に身を置いてみる。いくら頭で考えても分からないことが分かってくる。