痛みと共にわきあがる「悔しさ」の記憶
「悔しさ」と向き合うとき──胸の奥で疼く過去の記憶たち
痛みや体調が落ちているとき、胸の奥からふいに古い記憶が浮かび上がることがある。
普段なら思い出さないような出来事なのに、弱った自分を見つけると、まるで呼び戻されるように蘇る。
それは、まだ心に引っかかったままの感情がそこにあるから。
今回は、そんな過去の出来事と向き合いながら、気づいたことや心の整理について綴る。
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■ 忘れられなかった過去1
ーー尊重されなかった関係
ある習い事に通っていた頃のこと。
そこへ行く時間は楽しく、会話も弾み、気に入っていた場所だった。
ところが、家庭の事情で車が使えなくなり、一時的に通うことが難しくなった。
「しばらく休みます」
ただそう伝えたかった。理解して欲しかった。
けれど返ってきた言葉は、
「タクシーで来なさい」
事情よりも先生の都合。理解ではなく命令。
尊重ではなくコントロール。
その瞬間、胸の奥に怒りと悲しさが混ざった熱が生まれ、
その場所へ行くことをやめた。
恩知らずと思われたかもしれない。
でも本当はただ、気持ちを受け止めてほしかっただけ。
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■ 過去2
ーー弱っていた時に依存してしまった関係
病気でしんどかった時期。
藁にもすがる思いで、自然療法を紹介されるままに商品を買った。
でも回復してからも続いたのは、
「これを持っていきなさい(買いなさい)」
という圧と命令。
必要かどうかより、相手の販売欲求が前に出ていた。
そこで初めて言えた。
「私には必要ありません」
その瞬間、ようやく距離が取れた。
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■ 痛みとともに蘇る理由
体がしんどい時、心の防御力も下がる。
過去の痛みに似た感情が刺激され、記憶が呼び戻される。
怒りでも悲しみでもない。
その正体は 悔しさだった。
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■ 悔しさの奥にあったもの
・本当は言いたかった
・理解してほしかった
・対等でいたかった
・気持ちを尊重してほしかった
悔しさは、「本当はこうしたかった」という
心の願いの形だ。
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■ いま見えてきた答え
望む関係はとてもシンプルだった。
> それぞれが自立して
互いに尊重し合い
心地よく暮らせる関係
押し付けでも依存でもなく、
対等で風通しの良い繋がり。
過去の悔しさは、その価値を言語化するための燃料だったのかもしれない。
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■ 最後に
言えなかった自分が責められる必要はない。
あのときの自分は、その時できる最大限を選んでいた。
今はもう、
自分の気持ちを大切にしていい。
いらないものは断っていい。
対等で尊重し合える人とだけ繋がればいい。
過去は終わらせるためではなく、
未来の軸を教えてくれるために思い出される。
痛みが記憶を連れてくる日は、
心を整え直すチャンス。
今日も静かに、自分を尊重して生きていきたい。
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