生まれてきた目的は魂の成長のため
そして人生には、学ぶための出来事が起こっているだけのこと。
私は、この人生には、生まれてきた目的があると思っています。
そして私にとってその一つが、日々起こるさまざまな出来事から学び、魂を成長させながら、「心穏やかに生きること」なのではないかと、今は感じています。
人生には、嬉しいことばかりが起こるわけではありません。
人との関係に悩んだり、思い通りにならず腹を立てたり、まだ起きてもいない未来を心配したり。
私自身、頭の中でいろいろなことを考え続けてしまい、気づけば「今」ではなく、過去や未来の中にいることがあります。
だから、これから大切にしたいのが、
「今ここ」を味わうこと。
今あるものに気づき、感謝して、一日一日を笑顔で生ききることです。
心穏やかに生きるために
では、どうしたら心穏やかに生きられるのでしょう。
その答えを探す中で、私は仏教の智慧にも心を惹かれるようになりました。
仏教には、人の心を苦しませる三つの煩悩として、**「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」**という教えがあります。
貪(とん)― 欲や執着
「もっと欲しい」
「こうなってほしい」
「手放したくない」
物だけではなく、評価されたい、愛されたい、相手を思い通りにしたいという気持ちも含まれます。
瞋(じん)― 怒りや憎しみ
自分の思い通りにならないことに腹を立て、嫌い、拒絶する心。
「どうして分かってくれないの」
「許せない」
そんな気持ちもここにつながります。
痴(ち)― 物事の道理が見えていないこと
単に「知識がない」という意味ではありません。
物事は常に変化すること。
すべてを自分の思い通りにはできないこと。
そうした物事のあり方に気づかず、思い込みや執着にとらわれてしまうことです。
たとえば、
「こうであってほしい」(貪)
↓
思い通りにならない
↓
「どうして!」と怒る(瞋)
↓
すべてを自分の思い通りにできると思っていた自分に気づく(痴)
こうして自分の心を見つめてみると、怒りや悩みさえも、自分自身を知る入口になるのかもしれません。
人生そのものを学びにする
だから私は、思い通りにならない出来事に出会ったとき、
「私は、この出来事から何を学ぶのだろう」
と、自分に問いかけてみたいと思っています。
仏教の智慧、マインドフルネス、呼吸、本からの学び、感謝日記。
そして、夫婦や人との関係、何気ない日々の暮らし。
特別な場所へ行かなくても、毎日の暮らしそのものが、自分を知り、成長していくための学びの場なのかもしれない。
そんなふうに考えています。
notty117で 私が探究していること
このブログでは、心穏やかに、自分らしく生きるために、日々感じたことや学んだことを綴っています。
心のこと、人生のこと、そして、毎日の暮らしのなかにある小さな感謝。
今の私が探究していることを、次の3つのテーマに分けました。
① 心を整える
怒り、不安、執着に振り回されず、穏やかな心へ戻るために。
マインドフルネス、呼吸、瞑想、身体感覚、仏教の知恵などを学び、実践した記録を綴っています。
【「心を整える」の記事を読む →】
② 人生を考える
夫婦のこと、人との関係、自分らしさ、年齢を重ねること、生き方について。
思いどおりにならない出来事も含めて、
「この出来事は、私に何を教えてくれているのだろう」
と問いながら、人生から気づいたことや学んだことを綴っています。
【「人生を考える」の記事を読む →】
③ 感謝して暮らす
「ないもの」ではなく、「今ここにあるもの」に目を向けるために。
感謝日記や日々の小さな出来事、季節の移ろい、穏やかな暮らしの記録を通して、ものの見方を少しずつ整えています。
何気ない一日にも、目を凝らしてみると、たくさんの恵みが隠れています。
【「感謝して暮らす」の記事を読む →】
私の「人生の探究ノート」
昨日とは少し違う自分になったり、学ぶうちに考えが変わったりすることもあるでしょう。
それも含めて、その時々の自分が感じたこと、考えたこと、実践してみたことを残していきたいと思っています。
このブログは、誰かに「こう生きるべき」と正解を教える場所ではありません。
どうしたら「今ここ」を生きられるだろう。
どうしたら心穏やかに生きられるだろう。
私は、この人生で何を学ぶために生まれてきたのだろう。
そんな問いを持ちながら、私自身が学び、実践し、気づいたことを残していく**「人生の探究ノート」**です。
そして、ここに残した小さな気づきが、偶然このブログを訪れた誰かに、
「そんな考え方もあるのか」
と、ほんの少し心が軽くなるきっかけになったら嬉しいです。
答えを急がず、暮らしながら考える。
今ここを味わい、感謝して、笑顔で生ききる。