似ているから、間違える

私はよく間違える。

夫のことを、
「同じ人間」だと思ってしまう。

人間は、姿形が似ている。
同じように笑い、同じように怒り、
同じような言葉を話す。

だから錯覚する。

きっと、同じように感じているはずだと。

きっと、同じ速さで気づくはずだと。

きっと、同じ温度で学びを実践するはずだと。

でも違う。

中身は、天と地ほど違う。

姿が似ているから勘違いする。

「わかるでしょ?」
「一緒に学んだでしょ?」
「昨日気づいたよね?」

私は、自分の“正しさ”を武器にしてしまう。

教え込まれてきた価値観。
私が努力してきた在り方。
内省し、整え、修正してきた習慣。

それを正義にしてしまう。

そして夫を責める。

そのたびに、私は不幸になる。

夫のせいではない。

自分で不幸になる。

幸せになるには。

武器を下ろすこと。

「同じはずだ」という幻想を手放すこと。

姿が似ているからといって、
中身まで同じだと思わないこと。

人は違う。

思考も、速度も、優先順位も。

天と地ほど違う。

それを認める。

夫は、私ではない。

私は、夫ではない。

同じ海に立っていても、
見ている景色は違う。

だから、揃わない。

揃えようとするから、苦しくなる。

私は、私の凪を守る。

夫を凪にするためではない。

私が武器を下ろすとき、
私はやっと自由になる。