「変わってほしい」を手放して気づいたこと
夫への不満の奥にあったもの。「変わってほしい」を手放して気づいたこと
夫婦で長く一緒に暮らしていると、相手に対して、
「どうして分かってくれないの?」
「もう少しこうしてくれたらいいのに」
と思うことがあります。
私にも、そんなことがたくさんあります。
穏やかに暮らしたいと思えば思うほど、
「夫婦関係を良くするためには、夫にも変わってもらわなくちゃ」
と思っていました。
ところが最近、自分の心をじっくり見つめていて、あることに気づきました。
「こうあるべき」で、自分を苦しめていた
私はもともと、かなりの「べきべき人間」です。
「こうするべき」
「ちゃんとするべき」
「こうでなければならない」
気づかないうちに、たくさんの「べき」で自分自身を縛っていました。
そして、自分をキツキツに縛って苦しくなってくると、その苦しさの原因を、いつの間にか夫に求めてしまうことがありました。
「夫がこうだから、私はイライラする」
「夫が変わってくれれば、私はもっと穏やかでいられる」
そう思っていたのです。
でも、何度考えても、振り子はぐるっと回って私のところへ戻ってきます。
もしかしたら、私が本当に変えたかったのは夫ではなく、私自身の生き方だったのかもしれません。
改めて「夫がいてくれた人生」を振り返ってみた
そんなことを考えながら、今度は夫への不満ではなく、
「夫がいてくれたことで、私の人生に何があっただろう?」
と考えてみました。
すると、ずいぶんたくさんのことが見えてきました。
一人では大変な毎日の暮らしも、二人だから分担してやってこられたこと。
家族をつくり、子どもを育て、愛犬たちとも暮らしてこられたこと。
子育ての中では、嬉しいことばかりではなく、心配したり悩んだりする時期もありました。
そんなときも、一人で全部を背負うのではなく、二人で喜びや心配を分かち合いながら乗り越えてきました。
そして私自身がとても大変だった時期にも、夫はそばにいて支えてくれました。
こうして振り返ってみると、「当たり前」だと思っていた日常の中に、ずいぶんたくさんの感謝が隠れていたことに気づきます。
私の夢をずっと応援してくれた人
もう一つ、大切なことにも気づきました。
私は夫の前では、かなり自由です。
夢みたいな話もします。
「こんなことをやってみたい」
「あんなことができたらいいな」
そんな話を、夫にはずっとしてきました。
そして夫は、出会った頃から今まで、私のやりたいことや活動を応援してくれました。
文句を言う私も、完璧主義な私も、ときには「悪魔」のようになる私も(笑)、長い間受け止めてくれています。
私はずいぶん自由に生きてきたんだな。
そして、その自由の後ろには、夫の存在があったんだな。
そう思いました。
「相手を変える」より「自分を自由にする」
私は穏やかに生きたい。
だから夫婦関係をなんとかしようとしてきました。
でも、「穏やかにしてもらう」のではなく、
自分で自分を穏やかにしてあげる。
そのためにはまず、自分を縛っている「べき」を少しずつ手放していけばいいのかもしれません。
もっとゆるくていい。
もっと自由でいい。
そして、
「まぁ、いっか」
で終わらせてもいい。
完璧な妻でなくてもいいし、完璧な夫婦でなくてもいい。
相手にも、自分にも、もう少し余白があっていい。
これから二人で老いていく
若い頃とは違って、これからは夫婦二人とも少しずつ年齢を重ねていきます。
できないことも増えていくでしょう。
だからこそ、ますます「こうあるべき」ではなく、
「まあ、二人でなんとかやっていこうか」
くらいが、ちょうどいいのかもしれません。
一人ではないと思えること。
何かあったときに、隣に誰かがいてくれること。
それは決して当たり前ではないのだと思います。
夫への不満がなくなったわけではありません。
きっと、また腹も立つでしょう(笑)。
でも、そのたびに思い出したい。
不満の向こう側には、これまで二人で積み重ねてきた長い時間があることを。
そして、相手を変えようとする前に、
「私は今、自分を何かの『べき』で苦しめていないかな?」
と、自分に問いかけてみようと思います。
今日の感謝と自分褒め
🌸 感謝は、光を探す練習。
ねぎらいは、光に気づく練習。
そして自分褒めは、自分の光をちゃんと受け取る練習。
今日もまた一つ、小さな光を見つけることができました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

