「不快な反応」をどう扱うか
人と人が関わる限り、不快な反応は避けられない
こうした場面では
- 過剰に反応しない
- 不快な気持ちに執われない、感情に支配されない
どうしたら出来る?「感情を外から眺める」(反応を客観的に見る)
- ○○○と私は怒っている
- ○○○と私は反応している
- ○○○と私不満を感じている
と他人事のように言葉で確認すること。「反応を客観的に視る」ことが大切。
言葉は意識を気づきに向ける。そして反応の量を減らす意味がある。
意識を気づきに使えば使うほど、「○○○と私は怒っている」など言葉で客観的に視ることが出来れば、怒りに使う意識の量が減り、怒りが静まってくる。
「反応は出来るけど…」と余裕をかます
実際に感情で反応する前に、客観的に気づくことに心を使うと…
「反応は出来るけど…」「さて、これからどう反応(対応)しようか」
ポイントは、実際に反応する前に、「自分の反応を客観的に観察するぞ」という立場に自分を置く。大人!!
最初から”気づき”(観察)に使うことを決めておいて、「反応しない」心の準備をする。
相手を裁かず、ありのままを理解する
相手をあれこれと判断せず、その心中を妄想せず、ただその人が何を言っているか・しているかを、ニュートラルな心で理解する。善し悪しは判断せず、あるものはあると理解する。
「怒っている割合」を数値化してみる
怒ったときに、目を閉じて、「目の前に広がる暗闇」を見つめる。そうして今見えている「暗闇」全体が、「自分の心の状態」です。
《サティとラベリング》
サティ:私の中に怒りがある。
ラベリング:これは怒りで反応している状態だ
と客観的に認識します。
《怒りの割合を数値で表す》
自分の心の中で怒りがしめる割合は?
《怒りの割合を”カウントダウン”する》
70%⇒50%⇒30%⇒10%
平和だった頃を思い出す
「目覚めている人に怒りは存在しない」
目覚めているとは心の動きによく気づいていること、そして「心が反応する仕組みを知り尽くしている」という意味。
怒りが湧いた瞬間に気づけば怒りは消える。また心の仕組みを知れば、「つい反応して怒ってしまう」こともなくなる。そして怒りが存在しなくなる。
仏教の修行とは、怒りから自由になる仕組み
怒ることで吸っている蜜に気づく
- 怒ることに慣れている
- 怒ることで「元気が出る」気がする
- 怒ることで「自分が正しい」と思える⇒慢の反応:相手を否定することで自分を正当化しようという心のはたらき
「怒り」を手放して、怒りそのものから自由になる
人生の動機は「お役に立てればよし」と考える
人生の動機を”欲”と慢に老いている人が少なくない。賞賛されることや人目を引くこと、プライドを守ることを優先させる人です。
正しいのは、意識を、まずは人の幸せや利益を願うこと(悲しみ)と、相手の喜びや満足を感じ取ること(喜の心)に使うことです。
「お役に立てればよし」、仕事の最初に口に出して言ってみるだけでもOK.
- 人生最強の心の使い方⇒「お役に立てればよし」
- 相手も大変なんだ(悲の心)⇒心に余裕、困ったものだな、はて、どうしたらよいのかな、どの当たりが落としどころだろう、と方法を考えることに意識が向く
- いたわる⇒あんたも大変だな、難儀な人やな、相手しきれんわ、ほな、あんたどないしたいねんな?