怒りは「気づきの鐘」
怒りは「ダメな感情」じゃなかった
私はずっと、
怒らない人がかっこいいと思っていた。
釈迦は怒りを戒めた。
仏教は「怒り=煩悩」だ。
だから私は、
怒らない自分を目指してきた。
親にも、兄弟にも、友達にも、
感情を荒らげる自分を見せたことはない。
その代わり、
怒りは静かに、深く、
自分の内側へ押し込めてきた。
でも、なぜか前に進めなかった
学びもしてきた。
内省もしてきた。
なのに、どこかで止まっていた。
最近、ようやく気づいた。
私が進めなかった理由は、
怒りに「気づいてしまうと」
人生の前提が変わってしまうと
知っていたから。
- 本当は嫌だったこと
- 我慢してきた時間
- 自分を後回しにしてきた選択
それらを、
なかったことにできなくなる。
だから私は、
「わかっているつもり」で止まっていた。
それは逃げではなく、
自分を壊さないための知恵だったのだと思う。
本当の仏教的な在り方に出会った
ある言葉に、体が反応した。
- 怒りが出ない人 ❌
- 怒りを抑える人 ❌
- 怒りが出たことに気づける人 ⭕
- 怒りを握らず、観られる人 ⭕
- 怒りを通して、真実を見る人 ⭕
怒りは「気づきの鐘」。
鳴らしてはいけない鐘じゃない。
生きる方向とは、「自分を裏切らない向き」
正解の方向でも、
立派な方向でもない。
「息ができる向き」
「自分を裏切らない向き」
消耗から、創造へ
消耗とは、
自分を削って合わせる生き方。
創造とは、
自分から湧いたものを使う生き方。
おわりに
怒らない人がかっこいいんじゃない。
怒りに気づき、
それでも誠実でいようとする人が、美しい。
怒りは、敵じゃない。
あなたの人生の、コンパスだ。

