「察してほしい」をやめて、その場で伝える|鈍感な夫との付き合い方
先日、娘が家に帰ってきました。
せっかく娘が来てくれたのだから、おいしいものを食べて、家族で楽しい時間を過ごしたい。私はそう思っていました。
ところが、その日の帰り道、夫の言動に腹が立ち、またケンカになってしまいました。
雨の日に、なぜそこで数百円を惜しむの?
娘を駅まで送ったとき、外は雨でした。
私は股関節が悪く、雨の中を歩くのはつらいうえに、濡れた足元では転倒の危険もあります。
駅の近くには、ビルの中にある駐車場がありました。少し料金は高くなりますが、雨に濡れずに駅まで行けます。
ところが夫は、数百円を節約するために、駅から少し離れた駐車場に車を停めました。
雨の中を歩き、靴も足元も濡れていくうちに、私はだんだん腹が立ってきました。
「どうして、こんなときに数百円を惜しむの?」
「私の足のことより、駐車料金のほうが大事なの?」
そんな思いが、心の中に湧いてきたのです。
私が嫌だったのは、節約ではなく「心遣いのなさ」
夫は普段、自分の欲しいものには比較的気軽にお金を使います。
腕時計を何本も買ったり、必要なのか分からないものを買ったりすることもあります。
それなのに、雨の日に足の悪い妻を守るための数百円は惜しむ。
私には、そのお金の使い方が、単なる節約ではなく「さもしさ」のように感じられました。
けれど、よく考えてみると、私が本当に嫌だったのは、夫がお金を惜しんだことだけではありません。
「私の身体を大切にしてほしかった」
「こんなときくらい、私のつらさを優先してほしかった」
その願いに気づいてもらえなかったことが、悲しかったのです。
楽しい食事の席で繰り返される「安かった」
娘と食事をしているときにも、夫は「これは安いから食べる」「安く済んだ」と、値段の話を何度もしていました。
夫にとっては、安くて良いものを見つけたという自慢だったのかもしれません。
けれど私は、せっかく娘にごちそうしている場で、何度も「安い」と言うことに違和感を覚えました。
ごちそうされた側が、
「お金を使わせてしまったのかな」
「安いものを選ばなければいけないのかな」
と、気を遣ってしまうかもしれません。
私は、値段の話ではなく、ただ一緒に、
「おいしいね」
「来てくれてうれしいね」
と言いながら、温かい食卓を囲みたかったのです。
大切な場面では、お金の損得よりも、人の気持ちを優先してほしい。
私が守りたかったのは、家族で過ごす時間の品のよさと温かさだったのだと思います。
娘が来ると興奮気味になる夫
娘が帰ってくると、夫はうれしくてテンションが上がります。
もともとADHDの特性がある夫は、興奮すると話し始めたら止まらなくなり、頭に浮かんだことを次々に口にします。
その中には、ときどき相手の気持ちを考えていない、心ない言葉も混じります。
もちろん、本人に悪気はないのでしょう。
けれど、悪気がないことと、周りが傷つかないことは別です。
ADHDの特性が影響していたとしても、私が何も言わずに我慢し続けなければならないわけではありません。
「スルーできない私」が悪いのではなかった
私は最初、
「こんなことくらい、スルーしてあげればよかったのかな」
と思いました。
けれど、できませんでした。
それは、私の心が狭いからではありません。
今回の出来事は、私にとって単なる数百円の問題ではなく、
「私は大切に扱われていない」
と感じる出来事だったからです。
そこを無理にスルーしても、怒りは消えません。心の奥に沈み、別の出来事をきっかけに、もっと大きな怒りとなって噴き出してしまいます。
必要なのは、何でも笑って受け流せる妻になることではありませんでした。
鈍感な夫には、その場で短く伝える
今回、私は一つのことに気づきました。
夫に察してもらうことを期待するだけではなく、違和感を覚えたその場で、短く伝えればよかったのです。
駐車場を選ぶときなら、
「今日は雨で足元が危ないから、近い駐車場に停めてね。今日は節約より安全を優先してほしい」
食事中に値段の話が続いたら、
「安く済んだのはよかったけれど、今日は値段より『おいしいね』って楽しみたいな」
心ない言葉が出たら、
「その言い方は、私は嫌だよ」
「その話は、今はやめよう」
これくらいの短い言葉でよかったのです。
大切なのは、夫を「ケチな人」「恥ずかしい人」と人格ごと責めるのではなく、今の言動によって自分がどう感じたのか、そしてどうしてほしいのかを伝えることです。
小さな違和感は、小さなうちに言葉にする
私はこれまで、夫なら分かってくれるだろう、これくらい気づいてくれるだろうと期待してきました。
けれど、長く一緒に暮らしていても、見ているものや大切にしていることは違います。
私にとっては当然の心遣いでも、夫には見えていないことがあります。
だからといって、夫への期待をすべて捨てる必要はありません。
「察してくれることを待つ」から、「私の希望を具体的に伝える」へ変えていけばいいのだと思います。
小さな違和感のうちに、小さな言葉で知らせる。
その場で伝えたら、長い説教や議論にはしない。
これが、我慢して飲み込むことと、怒りを爆発させることの間にある、もう一つの道なのかもしれません。
怒りは、私を守るための知らせ
怒りは、決して悪い感情ではありません。
「私は、こんなふうに扱われたくない」
「ここは我慢したくない」
「もっと大切にしてほしい」
そんな心の願いや境界線を知らせる、火災報知器のようなものです。
今回のケンカも、ただの失敗ではありませんでした。
夫婦の取扱説明書に、
「鈍感な夫には、その場で短く、具体的に伝える」
という一ページが加わったのです。
私は、何でもスルーできる人にならなくていい。
自分の心と身体を守るために、必要なことを静かに伝えられる人になればいい。
怒りが大きな炎になる前に、小さな言葉に変えて届ける。
それが、夫を変えるためだけではなく、私自身の心の平和を守ることにもつながっていくのだと思います。

