結婚とは「夫婦二人の幼児性」を克服する場|ケンカをやめるために
ケンカをやめるために
夫婦ゲンカを繰り返していると、いつの間にか、
「夫が悪い」
「私は間違っていない」
「どうしてこの人は分からないの?」
そんな思いで、頭の中がいっぱいになってしまいます。
私もずっとそうでした。
でも最近、少し違う見方をするようになりました。
もしかしたら結婚とは、相手を自分の理想どおりに変える場所ではなく、夫婦それぞれが自分の中にある「幼児性」に気づき、それを少しずつ手放していく場所なのではないかと。
夫婦ゲンカをやめるために、今の私が考えていることを書いてみます。
夫への期待をやめる
私は夫に「理想の夫」を期待していたのだと思います。
穏やかであってほしい。
落ち着いていてほしい。
相手の気持ちを考えて話してほしい。
感情的にならず、理性的に行動してほしい。
ところが、現実の夫は私の理想とは違います。
その違いに、私は長い間イライラしてきました。
「どうして分からないの?」
「どうして何度言っても同じことをするの?」
そう思い続けるうちに、夫を軽蔑したり、見下したり、人格そのものを否定するような言葉までぶつけてしまうことがありました。
でも、それを続けて一番疲れていたのは、私自身だったのです。
私はもう、ケンカを続けたいわけではありません。
ただ、穏やかに暮らしたい。
だったら、「夫を私の理想の夫にする」という目標そのものを手放す必要があるのではないかと思うようになりました。
「この人は私の思いどおりにはならない」と知る
夫婦であっても、相手は自分とは別の人間です。
育ってきた家庭も違えば、性格も違う。
ものの感じ方も、考え方も違います。
私は夫の育ってきた環境について考えることがあります。
夫にも、親から受け継いだ考え方や、子どもの頃から身につけてきた反応の仕方があるのでしょう。
そう考えると、
「どうしてこんな人なの!」
と批判するだけではなく、
「この人にも、この人なりの背景があるのだろう」
と少し距離を置いて見ることができます。
だからといって、傷つく言葉や理不尽な態度まで我慢する必要はありません。
理解することと、我慢することは別です。
ただ一つ確かなのは、
「彼は私の思いどおりの夫にはならない」
ということ。
それを認めることは、敗北ではありません。
相手を変えるために使っていた膨大なエネルギーを、自分の人生へ取り戻すことなのだと思います。
夫も私も「我が強い」
そして、夫だけではありません。
私にも問題があります。
私たちは二人とも、
「自分は間違っていない」
と思いやすいところがあります。
仕事では、自分の考えを持ち、信念を曲げないことが力になる場合があります。
でも家庭の中で二人とも、
「私が正しい」
「いや、俺が正しい」
とやっていたら、当然ぶつかります。
我の強い二人は、
「まず自分を理解してほしい」
という気持ちが先に立ちます。
すると、相手の話を聞くことができなくなります。
「私の気持ちを分かって」
「俺の言っていることを認めて」
二人とも同じことを求めているのです。
これでは終わりません。
「あなたにとっては、それが正しいのですね」
そんなときに使いたいと思った言葉があります。
「あなたにとっては、それが正しいのですね」
これは、
「あなたが正しい。私が間違っています」
という意味ではありません。
「あなたはそう考えているのですね」
と、相手と自分の考えを分ける言葉です。
夫婦だからといって、すべて同じ結論に到達する必要はありません。
相手を説得できないときは、
「あなたはそう思うんだね」
で終わってもいい。
そして、それ以上ヒートアップしそうなら、スーッとその場を離れる。
これくらいでいいのかもしれません。
「自分が正しい」から離れてみる
私たちは、つい人を判断します。
「あの人は間違っている」
「普通はそんなことをしない」
「私のほうが正しい」
そう判断すると、一瞬安心できます。
でも、「自分が正しい」という思いが強くなりすぎると、相手との間に壁ができます。
仏教では、自分を実際以上に高く見たり、他人と比較して優劣をつけたりする心を「慢」と表現します。
大愚元勝さんの『自分という壁』を読んでいても、人間は誰もが完全ではなく、自分自身の心の癖を抱えて生きているのだと考えさせられます。
夫だけではない。
私にも「慢」はある。
誰かを見て、
「あっ、またこの人を品定めしている」
と気づいたら、
「あ、また判断しているな」
と自分の心を見る。
それだけでも違うと思います。
「正しい自分」より「素直な自分」
荒了寛さんの『365日を穏やかに過ごす心の習慣』にも、「我」を手放し、謙虚に相手を受け入れることの大切さが書かれています。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
という言葉があります。
年齢を重ねるほど、
「私は正しい!」
と頭を高くするのではなく、
「そういう考え方もあるのか」
と頭を下げられる人になりたい。
人の話を聞けること。
心を開いて話せること。
間違ったら「ごめん」と言えること。
「正しい自分」でいることより、「素直な自分」でいるほうが、結局は自分自身も楽なのだと思います。
要は、夫も私もまだ幼い
私は以前、義理の母を見ながら、
「どうしてそこまで夫の機嫌を取るのだろう」
と思っていました。
義理の母は、義理の父のことを「かわいそうな人なの」と言っていました。
私は、そんなふうには思えませんでした。
夫には大人の男性として、対等なパートナーとして振る舞ってほしかったからです。
でも最近、少し考えが変わりました。
夫には夫の中に、甘えたい「幼い部分」がある。
そして、私の中にも幼い部分がある。
「分かってほしい」
「私が正しいと認めてほしい」
「私の思いどおりにしてほしい」
そう叫んでいる自分も、ある意味では幼いのです。
結婚は「幼児性を克服する場」なのかもしれない
小林正観さんの言葉に触れて、印象に残った考え方があります。
ケンカは、一人ではできません。
売る人がいて、それを買う人がいるから成立します。
外では嫌なことを言われても我慢できるのに、夫や妻から言われると瞬間的に腹を立ててしまうことがあります。
「家族なんだから分かってくれるはず」
という甘えが、どこかにあるのかもしれません。
そう考えると結婚とは、思いどおりにならない相手と暮らしながら、
自分のわがままや甘え、つまり「幼児性」と向き合う場所
とも考えられます。
もちろん、家庭は一方だけが我慢する場所ではありません。
傷つけられても黙って耐えることが「大人」なのでもありません。
そうではなく、
感情のまま相手にぶつける前に、一度踏みとどまる。
その力を夫婦それぞれが育てていく。
それが「大人になる」ということなのかもしれません。
自分の中の「幼い私」を、大人の私がなだめる
私たちの中には、いくつになっても子どものような部分が残っているのかもしれません。
傷つけば、
「ひどい!」
と叫びたくなる。
認めてもらえなければ、
「私のことを分かって!」
と言いたくなる。
そんな自分を否定するのではなく、もう一人の大人の自分が、
「腹が立ったね」
「嫌だったね」
「でも、今すぐ言い返さなくても大丈夫だよ」
となだめてあげる。
いわば、自分の中のインナーチャイルドを、理性的で愛情のある「大人の自分」が見守るイメージです。
感情をなくすのではなく、感情の運転席に大人の自分が座る。
これが私にとっての「成長」なのかもしれません。
ケンカになりそうなら、まず物理的に離れる
では実際に夫婦ゲンカになりそうなとき、どうするか。
私には、まず物理的な距離を取ることが大切です。
感情が高ぶっているときに、その場でどちらが正しいかを決めようとしても、たいていうまくいきません。
だから、
「今は話さない」
という選択をする。
別の部屋へ行く。
外へ出る。
深呼吸する。
少し歩く。
状況と行動を意識的に変えて、感情が落ち着くまで待つ。
ケンカになりそうになったら、逃げるが勝ち。
逃げるというより、「これ以上傷つけ合わないための退避」です。
ケンカは「距離が近すぎる」というサイン
夫婦は距離が近いからこそ、
「これくらい分かってくれるはず」
という期待が生まれます。
そして期待が大きくなるほど、期待どおりでなかったときの怒りも大きくなります。
だから私は、ケンカが増えてきたら、
「今、二人の距離が近すぎるのかもしれない」
と考えることにします。
夫婦であっても、別々の人間です。
一人になる時間があっていい。
違う考えを持っていていい。
全部を分かり合えなくてもいい。
むしろ適度な距離があるからこそ、相手を一人の人間として大切にできるのだと思います。
私が夫にイライラするとき
私が夫に強く反応する場面も、少しずつ分かってきました。
たとえば、自慢話を何度も聞かされたとき。
「すごいね」と言わなければいけないような気持ちになり、イライラします。
夫が仕事などでイライラし、その苛立ちをこちらへ向けてきたときにも、
「どうして私がそんな言い方をされなければならないの?」
と腹が立ちます。
車の運転中に他の車へ文句を言い続けたり、私が怖いと感じているのに強い口調で返されたりすると、不安と怒りが同時に湧きます。
心ない言葉を言われたときも同じです。
こうしたときに大切なのは、
「私が今、何に反応しているのか」
を知ること。
そして必要なら、
「その言い方は嫌だよ」
と伝えて、その場を離れる。
相手を変えるためではなく、自分の境界線を守るために伝えるのです。
ケンカをやめるために、私がやってみること
これからは、ケンカになりそうになったら次のことを思い出したいと思います。
- その場で勝とうとしない
- 「私が正しい」と証明しようとしない
- 「あなたはそう思うんだね」で終わらせてもいい
- 感情が高ぶったら物理的に離れる
- 深呼吸して身体の感覚に意識を戻す
- 「私は今、何に腹を立てている?」と自分を見る
- 嫌なことには境界線を引く
- 相手を理想どおりに変えようとしない
そして何より、
「相手だけが幼いのではない。私の中にも幼い私がいる」
ということを忘れないようにしたい。
まとめ|夫を変えるより、二人とも少しずつ大人になる
長い間、私は、
「夫さえ変わってくれれば、私は穏やかに暮らせる」
と思っていたのかもしれません。
でも、それでは私の心の平和を夫に預けていることになります。
夫には夫の課題がある。
私には私の課題がある。
夫を理想の夫に変えることは、私の仕事ではありません。
私にできるのは、自分の中にある幼さ、我の強さ、「私が正しい」という執着に気づくこと。
そして、感情に任せて相手を傷つける前に、
「ちょっと待てよ」
と踏みとどまれる大人の自分を育てていくことです。
結婚とは、完璧な相手を見つけて幸せにしてもらう場所ではなく、
不完全な二人が暮らしながら、それぞれ少しずつ大人になっていく場所なのかもしれません。
今日もまたケンカになりそうになったら、勝ち負けを決めるのではなく、まず一歩離れてみる。
夫を変えるより先に、自分の心を穏やかな場所へ戻す。
それが、私がこれから練習していきたい夫婦のあり方です。

