「また始まった…」その怒りの下にあったもの――夫婦のすれ違いをアンガーマネジメントで考えてみた
――夫婦のすれ違いをアンガーマネジメントで考えてみた
今、私はアンガーマネジメントについて学んでいます。
怒らない人になるためではなく、
「私はなぜ、こんなに腹が立つんだろう?」
と、自分の心の中で起きていることを知るためです。
今朝、夫との間にちょっとした出来事がありました。
大喧嘩になったわけではありません。
けれど、その小さな出来事の中に、私が夫に対して抱えている「べき」や、怒りの下に隠れていた感情が、とてもよく表れていました。
「また始まった」と思った朝
夫はよく、
「日本はすごい」
「日本人ってすごいよね」
という話をします。
今朝も、海外で日本の歌が取り上げられているという話から始まりました。
そこまでは普通に聞いていました。
ところが、だんだん「日本の言葉はすごい」という、いつもの方向へ。
私は心の中で、
「ああ、また始まった……」
と思いました。
私は、一つの国からだけではなく、世界から見た視点も含めて、多面的に物事を考えたいと思っています。
だから、この話題になると夫とは価値観が合いません。
そして、これまでにも何度か同じようなことでぶつかってきました。
だから今日は反論しませんでした。
「もう聞かないでおこう」
そう思って、本に意識を戻しました。
ところが今度は夫が、
「話を聞いてくれない」
と不機嫌になりました。
そして、またブツブツと文句が始まりました。
私はその場を離れ、二階へ行きました。
私は何に怒ったのだろう
最初は、
「また同じことを言ってる」
ことに腹を立てたのだと思っていました。
でも、アンガーマネジメントの視点で考えてみると、少し違いました。
私の中には、いくつもの「べき」があったのです。
私の中にあった「べき」
- 大人なら、一面的ではなく多面的に物事を見るべき
- ミクロだけでなく、マクロな視点も持つべき
- SNSなどの情報だけで判断せず、冷静に考えるべき
- 一度大きな喧嘩になったことは覚えていて、同じことを繰り返さないべき
- 相手が嫌がっている話題には配慮するべき
- 経験したことから学ぶべき
- 夫や男性は、冷静で知的であるべき
こうして書き出してみると、たくさんあります。
特に強かったのは、
「一度あれだけ喧嘩になったのだから、同じことを繰り返さないべき」
という思いでした。
だから私の「また始まった」の奥には、
「どうして覚えていないの?」
「どうして同じことを繰り返すの?」
「前の経験から学ばないの?」
という気持ちがあったのです。
「べき」の奥には、大切にしている価値観がある
でも、ここで気づきました。
「べき」は、ただ悪いものではありません。
その奥には、
私が人生で大切にしているもの
が隠れているのです。
私の場合は、
知性、冷静さ、広い視野、多様な価値観、経験から学ぶこと、相手への配慮。
私は、こういうものをとても大切にして生きてきたのだと思います。
だから、それと反対に見える行動を目の前でされると、強く反応してしまう。
問題は、
「私はこれを大切にしている」
という価値観が、いつの間にか、
「だから、あなたもそうあるべき」
に変わってしまうことです。
ここは私自身が気をつけたいところだと思いました。
怒りの下にあった一次感情は「失望」だった
そしてもう一つ、大きな発見がありました。
私は今朝、夫に腹を立てる前に、
失望していたのだと思います。
「また同じことを繰り返すの?」
「以前あんなにぶつかったのに?」
「私は今日は喧嘩しないように黙っているのに、それでも怒るの?」
そんな気持ちでした。
そこには、
失望、うんざり、虚しさ、諦め、悲しさ。
いろいろな感情が混ざっていたのだと思います。
そして、それらの一次感情の上に、
「もう、いい加減にして!」
という怒りが出てきた。
「私は怒っている」
だけで終わらせていたら、ここには気づけませんでした。
でも、
「私は何に失望したんだろう?」
と考えてみたら、自分の心が少し見えてきました。
出来事:夫が同じことを繰り返す
→ べき:一度伝えたことは覚えて、次に生かすべき
→ 一次感情:失望・虚しさ・うんざり
→ 二次感情:怒り
→ 本当の願い:私が伝えたことを大切に扱ってほしい
なぜ同じ話を何度もするのだろう
さらに考えていて、もう一つ気づいたことがあります。
夫にとっては、もしかするとこの話は「終わっていない」のかもしれません。
私は、
「私たちはこのことについて価値観が違う」
と分かった時点で、話は終わっています。
ところが夫にとっては、
「まだ自分の言いたいことが伝わっていない」
「もっと説明すれば分かってもらえる」
「分かってもらえれば、共感してもらえる」
という感覚なのかもしれません。
だとしたら、二人では「会話の終了地点」が違います。
私は、
「理解した。でも私は違う考え」
で終了。
夫は、
「同意してくれない。まだ伝わっていない」
となって、また説明する。
そう考えると、なぜ同じことが繰り返されるのか、少し見えてきました。
ADHDの特性と「また同じこと」の関係
ここでもう一つ考えたのが、ADHDの特性と記憶の関係です。
ADHDだから単純に「記憶力が悪い」ということではありません。
ただ、ワーキングメモリや、過去の経験を必要なときに思い出して現在の行動に結びつけることに、難しさが出る人もいるとされています。
つまり、
「以前この話で喧嘩した」
という出来事そのものを忘れているとは限らない。
覚えていても、
「前にこの話で揉めた」
↓
「妻はこの話を嫌がる」
↓
「今日はやめておこう」
と、その記憶を今の行動のブレーキとして使うことが難しい場合もあるのです。
また、その瞬間に興味を持ったことや「今これを話したい」という気持ちが強くなると、過去の経験よりも目の前の興味が優先されることもあります。
これを知って、私の中にあった、
「あれだけ喧嘩したんだから、普通なら覚えていて、もう同じことをしないはず」
という「べき」にも気づきました。
もちろん、ADHDだから何を繰り返しても仕方がない、私が我慢すればいい、ということではありません。
ただ、
「どうして分からないの?」と相手の人格を評価することと、
「この人にはこういうことが起こりやすいのかもしれない」と特性を理解することは違う。
そう考えると、「察してほしい」と期待するだけではなく、
「この話題には私は参加しないね」
と、その都度自分の境界線を言葉にするほうが、私たちには合っているのかもしれません。
「理解」「共感」「同意」は違う
今回、私がとても大切だと思ったのが、この区別です。
理解すること。
共感すること。
同意すること。
これは全部違います。
「あなたがそう考えていることは分かった」
と言うことと、
「私も同じように思う」
は同じではありません。
私は夫の考えを理解することはできます。
でも、すべてに共感したり、同意したりする必要はありません。
もちろん逆も同じです。
夫も、私と同じ考えになる必要はありません。
私が本当に夫に求めていたもの
ここまで考えて、私が夫に本当に求めていたものが少し見えてきました。
私は、
「もっと知的になってほしい」
「もっと広い視野を持ってほしい」
と思っているのだと思っていました。
でも、もっと奥にあった願いは、違ったのかもしれません。
それは、
「私があなたと違う考えを持つことを、そのまま認めてほしい」
ということ。
そして同時に、私も夫に、
「あなたは私と違う考えを持っていていい」
と言えるようになりたい。
どちらが正しいかを決めるのではなく、
「私たちは、ここについては違うね」
で終われる関係。
それが私の望んでいることなのだと思います。
次から私はどうするか
今朝の私は、夫の話を聞かず、本に集中しました。
喧嘩を避けるための行動としては、それも一つだったと思います。
でも次は、黙って察してもらうのではなく、言葉にしてみようと思います。
「私はこの話についてはあなたとは価値観が違うし、以前も喧嘩になったから、この話には参加したくない」
そう伝える。
そして夫が違う考えを持っていること自体は否定しない。
私も夫を変えようとしない。
その代わり、夫にも私を変えようとしないでもらう。
怒りは、自分を知る入口なのかもしれない
今回、アンガーマネジメントを学びながら一つ感じたことがあります。
怒りだけを見ていると、
「また夫に腹が立った」
で終わってしまいます。
でも、その下を見てみると、
「私は失望していた」
さらにその下には、
「私はこういうことを大切にしている」
という自分の価値観がありました。
怒りは、ただ消すものではなく、
自分が何を大切にしているのかを教えてくれる感情なのかもしれません。
そして夫婦だからといって、すべての価値観が同じである必要はない。
理解しても、同意しなくていい。
違っていてもいい。
相手を変えようとするのではなく、違いを認めながら、自分の境界線を言葉で伝える。
それが今の私にとっての、アンガーマネジメントの練習なのだと思います。
今日の出来事も、ただの「また同じ喧嘩」にはしたくありません。
私自身を知り、これからの夫婦関係を少しでも穏やかなものにしていくための、小さな学びに変えていきたいと思います。
なぜ、同じ話を何度も繰り返すのだろう
今回もう一つ考えたのが、
「なぜ、同じ話を何度も繰り返すのだろう?」
ということでした。
同じ話を繰り返すことにも、さまざまな理由があると思います。
特に、相手が共感したり肯定したりするまで同じ主張を繰り返す場合、「情報を伝えたい」だけではなく、
「自分の考えを受け入れてほしい」
「自分を肯定してほしい」
という気持ちが隠れている場合もあります。
たとえば、
- 「そうだね」「あなたの言うとおり」と言ってほしい
- 自分の意見への同意を、愛情や尊重と結びつけている
- 相手が違う意見を持つことを「自分への否定」と感じてしまう
- 「まだ同意してくれないのは、説明が足りないから」と考える
- 相手に話しながら、自分自身の考えを確かめている
- 「まだ分かってもらえていない」と感じていて、本人の中では話が終わっていない
などです。
もちろん、相手の心の中は本人にしか分かりません。
でも今回、私は一つの可能性に気づきました。
二人の「会話の終了条件」が違うのかもしれない
私にとっては、
「あなたがそう考えていることは分かった。でも私は違う考えです」
となったところで、その話は終了しています。
ところが相手にとって、
「まだ同意してくれていない」
=「まだ本当には伝わっていない」
=「もう一度説明しよう」
となっているとしたら……。
二人の会話は、いつまでたっても終わりません。
これでは、まるで永久機関です(笑)。
そして、これが今朝の私の「またなの?」という失望にもつながっていたのだと思います。
私にとっては、
「以前あれだけ話したのだから、私たちの価値観が違うことは確認済み」
でした。
だから、
「以前あれだけぶつかったのだから、もう同じ話題には触れないはず」
という私の「べき」がありました。
一方、相手には、
「まだ分かってもらえていないから、もう一度伝えたい」
という気持ちがあるのかもしれません。
もしそうなら、ここに大きなすれ違いがあります。
「理解する」「共感する」「同意する」は違う
そして今回、私が一番大切だと思ったのが、このことでした。
理解すること。
共感すること。
同意すること。
この三つは、同じではありません。
「あなたがそう考えていることは理解した」
と言うことと、
「私もあなたと同じ考えです」
と言うことは違います。
私は夫の考えを理解することはできる。
でも、理解したからといって、共感したり同意したりしなければならないわけではありません。
もちろん、それは夫も同じです。
だから、私はこれからこう伝えていきたいと思います。
「あなたの考えが分からないから聞かないんじゃないよ。あなたがそう考えていることは、もう分かっている。でも、分かることと同意することは別なんだよ。私はこのことについては違う考えを持っている。それを変えるために何度も説明されるのはつらい」
そしてアンガーマネジメントを通して、私自身の新しい「べき」にも気づきました。
「一度『私たちはここについて意見が違う』と分かったら、お互いに相手を変えようとせず、その違いを尊重するべき」
でも、これさえ「相手が守るべきルール」にしてしまったら、また私は怒るのかもしれません。
だから「べき」ではなく、私自身の願いとして言い換えてみます。
私は、違う価値観を持った二人が、相手を自分と同じ考えに変えようとせず、「あなたはそう思うんだね。私はこう思うよ」と言える関係でありたい。
そして、私が夫に本当に求めていたことも見えてきました。
「もっと賢くなってほしい」でも、
「私と同じように考えてほしい」でもなかった。
本当に言いたかったのは、
「私があなたと違う考えを持つことを許してほしい。」
ということだったのだと思います。
同時に私も、
「あなたが私と違う考えを持つことを許す。」
そこから始めてみようと思います。
怒りを掘り下げていったら、最後に出てきたのは「正しさ」ではなく、
「違っていても大丈夫な関係でいたい」
という私の願いでした。
