心を育てる

仏陀の智慧に学ぶ「心の使い方」|ムダに反応せず、穏やかに生きるために

notty117

仏教の教えを学んでいると、私がいいなと思うことがあります。

それは、ただ「心穏やかに生きましょう」と言っているのではなく、そのための方法があるということです。

苦しみには原因がある。
原因があるなら、それに気づくことができる。
そして、苦しみを小さくしていくための道筋もある。

そう考えると、

「どうにもならない」と思っていることにも、何か方法があるのかもしれない。

と思えてきます。

心の使い方次第で、毎日は少しずつ変えられる。

過去や他人に心を奪われず、「今ここ」を穏やかに生きるために、私が仏教の智慧から学んだことを整理してみます。

苦しみには「抜け出すための道」がある

仏教の基本的な考え方の一つに「四諦」があります。

大まかに捉えると、

  1. 人生には苦しみがある
  2. 苦しみには原因がある
  3. その原因から離れることはできる
  4. そのための道がある

というものです。

私がこの考え方に惹かれるのは、

「苦しい」で終わらないところ。

「では、どうすればいいのか」

というところまで考えているからです。

「この状況なら、こうしてみよう」

という心の手順を持っていれば、感情に巻き込まれたときにも、自分を少し離れたところから見ることができます。

過去を許し、少しずつ手放す

過去の嫌な出来事を何度も思い出していると、そのたびに当時の怒りや悲しみまで蘇ってくることがあります。

でも、すでに終わった出来事そのものを変えることはできません。

変えられるのは、今の私がその記憶とどう付き合うかです。

「あ、また思い出しているな」

と気づく。

そして、

「これはもう終わったこと」
「今ここでは起きていない」

と、自分を現在へ戻してあげる。

忘れよう、忘れようと力む必要もありません。

思い出してしまったら気づいて、また手放す。

それを何度でも繰り返していけばいいのだと思います。

心は「ひとつの塊」ではない

自分の心を観察するとき、すべてを「気分」として一緒くたにしないほうが分かりやすいことがあります。

例えば、

感覚

目で見る。
耳で聞く。
鼻で嗅ぐ。
舌で味わう。
肌で感じる。

身体を通して感じているものです。

感情

うれしい。
悲しい。
腹が立つ。
楽しい。
嫌だ。

といった心の反応です。

思考

仕事の段取りを考える。
過去を思い出す。
未来を想像する。
「あの人はどうしてあんなことを言ったのだろう」と考える。

こうした頭の中のおしゃべりです。

意欲

「これをしたい」
「手に入れたい」
「やってみたい」

という行動へ向かう力です。

意識

そして、それらを、

「今、私は怒っている」
「今、私は考えすぎている」

と気づく働きがあります。

このように心を分けて眺めてみると、

「私は怒りそのものではない」

と気づけます。

私の中に、今、一時的に「怒り」という反応が起きているだけなのです。

実践1|まず「気づく」

私にとって最初に必要なのは、

「今、私はイライラしている」

と気づくことです。

疲れていたり、余裕がなくなったりすると、昔の嫌な出来事まで思い出してしまうことがあります。

そして頭の中で何度も考え、

「あのときもそうだった」
「そういえば、あのときだって……」

と怒りをどんどん大きくしてしまう。

出来事そのものより、自分の想像と思考によって怒りを巨大化させていることもあります。

そんなときには、

「はい、今また怒りを育てていますよ」

と、自分に教えてあげる。

それが「気づく」ということなのだと思います。

イライラは「疲れているよ」のサインかもしれない

ここは、私にとってかなり大事です。

過去の嫌なことを思い出したり、目の前の人のちょっとした言動に激しくイライラしたりするとき、

原因は本当に「その人」だけなのでしょうか。

もしかしたら、

私は今、疲れているのかもしれない。

睡眠不足かもしれない。
余裕がないのかもしれない。
頭を使いすぎているのかもしれない。

そう考えてみます。

そんなときには、問題を解決しようとするより、

まず休む。

ゆっくりする。

少し眠る。

外へ出る。

時間が経つのを待つ。

身体に余裕が戻れば、同じ出来事を少し違って見られるかもしれません。

私の「気づきチェック」

  • 今、イライラしていない?
  • 疲れていない?
  • 頭の中が暇になって、余計なことを考えていない?
  • ネガティブな感情を反芻していない?
  • 誰かの言動に必要以上に反応していない?

これに気づくだけでも、ずいぶん違います。

実践2|気持ちを切り替える

私にとって一番の課題は、これです。

気持ちを切り替えること。

嫌なことがあると、頭の中で何度も反芻してしまいます。

だから、意識的に「別の場所」へ心を移します。

私の場合は、

  • その場から離れる
  • 別の部屋へ行く
  • 深呼吸する
  • 少し歩く
  • 買い物へ行く
  • 本を読む
  • 絵を描く
  • ドラマや映画を見る
  • シェリと遊ぶ
  • 温かい飲み物を飲む
  • 好きな香りを嗅ぐ
  • お風呂や温泉に入る
  • パワーライティングをする
  • 片づける
  • 寝る
  • 身体を動かす

など。

ただし、「気分転換」という名目で刺激を増やし続けると、かえって疲れることもあります。

だから一番シンプルなのは、

身体の感覚へ戻ること。

です。

感情から「感覚」へ戻る

イライラしているとき、心は感情でいっぱいです。

考えがまとまらないときは、思考でいっぱいです。

そんなときには、別のことをさらに考えるより、身体へ戻ってみます。

例えば、

「お腹が膨らんでいる」
「息を吐いている」
「足の裏が床についている」
「風が頬に当たっている」

と感じてみる。

つまり、

感情 → 感覚

思考 → 感覚

へ意識を移していくのです。

頭の中で起きていることから、今ここにある身体へ戻る。

これなら、いつでもできます。

疲れたときは「感覚に帰る」

ムシャクシャしたとき、

スマホを延々と見る。
ネットを見る。
テレビを見る。
何かを食べ続ける。

これらも気分転換にはなります。

でも、それでさらに、

「時間を無駄にしちゃった」

と後悔したら、新しいストレスが生まれます。

そんなときには、もっと単純な感覚に戻ってみる。

歩く。
呼吸する。
手を動かす。
お湯に浸かる。
風を感じる。

「今、身体は何を感じている?」

そこに意識を戻します。

サティ|「あるものを、ある」と知る

仏教でいう「サティ」は、「気づき」と訳されることがあります。

大げさなことではありません。

「音が聞こえている」

「手が動いている」

「呼吸している」

「怒りがある」

ただ、それに気づく。

音に気づく

音が聞こえてきたら、

「ああ、音が聞こえている」

と確認します。

音について評価する必要はありません。

ただ聞こえている。

視覚に気づく

目の前にあるものを、

「見えている」

と意識してみる。

色、光、形。

そこに良い・悪いという評価を加えず、ただ見る。

触覚に気づく

手を握る。
開く。

そのときの感覚を観察します。

手をゆっくり上げて、また下ろす。

足の裏が床に触れている感覚を感じる。

呼吸するときのお腹の膨らみと縮みを感じる。

それだけです。

仕事前の30秒座禅

これは毎日の習慣にしたいと思っています。

仕事を始める前に30秒。

お腹に意識を向けます。

吸う。
膨らむ。

吐く。
縮む。

たった30秒でも、

「ここから始めます」

という小さな区切りになります。

ラベリングで心を整理する

心の中がグチャグチャしているときには、言葉にして確認します。

怒っているなら、

「怒りがある」

過去を思い出しているなら、

「記憶を思い出している」

緊張しているなら、

「緊張している」

これだけ。

「私はダメだ」
「あの人が悪い」

と物語を広げるのではなく、今起きていることに名前をつけます。

それだけで、感情との間に少し距離ができます。

心の「指さし確認」

私は、これも面白い方法だと思っています。

「今から本を読みます」

「今から運転します」

「今から料理をします」

と、自分に宣言する。

駅員さんの指さし確認の心版です。

あれもこれも考えず、

「今やること」に心を注ぐ。

心があちこちへ飛んでいく私には、案外こういう単純な方法がいいのかもしれません。

心のホームポジションは「ニュートラル」

いつも楽しくなければいけない。

いつも幸せでなければいけない。

そう考える必要はないのだと思います。

感情には、

  • 不快
  • そのどちらでもない状態

があります。

私が目指したいのは、強烈な「快」を追い続けることではありません。

安らぎ。
落ち着き。
穏やかさ。
思いやり。
優しさ。

そして、大切なことに静かに集中できる状態。

私にとって、それがニュートラルな心です。

普段はニュートラル。

うれしいことがあったら、もちろん喜ぶ。

不快なことがあったら、きちんと感じる。

でも、そこに居続けない。

またニュートラルへ戻る。

それでいいのだと思います。

不快な感情を「外から眺める」

人と関わっている以上、不快な反応を完全になくすことはできません。

だから、

「怒ってはいけない」

ではなく、

「怒っている自分に気づく」

ことを練習します。

「私は今、○○に怒っている」

「私は今、○○に反応している」

「私は今、○○に不満を感じている」

そう言葉にしてみます。

すると、怒りそのものだった自分が、少しだけ、

「怒っている自分を見る人」

になります。

「反応はできるけど……」と、ひと呼吸

嫌なことを言われた瞬間に、

「反応はできるけど……」

と考えてみます。

そして、

「さて、私はどう対応しようか?」

と考える。

言い返すこともできる。
黙ることもできる。
その場を離れることもできる。
後で話すこともできる。

選択肢があります。

感情に反応させられるのではなく、自分で対応を選ぶ。

それが大人の心の使い方なのだと思います。

怒りを数値にしてみる

怒っているとき、

「今の怒りは何%?」

と自分に聞いてみます。

70%かな。

しばらく呼吸して、

「今は?」

50%。

もう少し経って、

30%。

こんなふうに観察します。

怒りをなくそうとするのではなく、

「怒りは変化していくものなんだ」

と眺めます。

感情はずっと同じ強さではありません。

それを知っているだけでも、少し余裕が生まれます。

完璧主義を手放す

私のイライラを増やしているものの一つが、完璧主義です。

ちゃんとやろう。

もっとやろう。

あれもやろう。

これもやろう。

そうやって仕事を自分で増やし、余裕をなくして、最後にはイライラする。

だったら、

もっと大雑把でいい。

一度にやる範囲を狭くする。

時間を決める。

少しずつやる。

身体に負担をかけない。

そろそろ手放してもいいもの

  • 仕事を完璧にすること
  • 授業を完璧にすること
  • 家事を完璧にすること
  • 趣味まで完璧にすること
  • 夫を理想どおりの夫にすること
  • 「いつも穏やかな私」でいようとすること

穏やかに生きることまで完璧にしなくていい。

これは大事です。

普段からニュートラルへ戻る習慣をつくる

心が大きく乱れてから何とかするだけではなく、普段から整えておきたいと思います。

毎日できること

  • 食事に集中する
  • 家事をするときは手の感覚に意識を向ける
  • シェリと散歩する
  • 寝る前に2分間、呼吸に意識を向ける
  • イライラしてきたら休む
  • ネガティブな思考が始まったことに気づく
  • 身体を適度に動かす
  • 仕事を頑張りすぎない
  • ぼーっとする時間を許す

ときどきやること

  • マッサージを受ける
  • 温泉へ行く
  • 自然の中で過ごす
  • おいしいものを食べる
  • 買い物を楽しむ
  • 一人でゆっくりする

アートの時間は心のメンテナンス

そして私には、アートがあります。

  • 自分が穏やかに暮らしている世界を描く
  • 心に浮かんだものを絵にする
  • 写真をじっくり見る
  • 色を意識して一日を過ごす
  • 描くことそのものに没頭する

絵を描いていると、頭の中のおしゃべりが静かになる瞬間があります。

私にとってアートは、作品を完成させるためだけのものではありません。

心を「今ここ」へ戻してくれる時間でもあるのです。

「あと一年で人生が終わる」としたら?

ときどき、こう考えてみます。

もし、あと一年しか生きられないとしたら、私は今日をどう過ごすだろう?

そんなとき、たぶん、

もっと完璧に家事をしよう。

もっと仕事をしよう。

とは思わないでしょう。

余計なものを減らして、好きなものを大切にしたくなると思います。

温泉へ行く。
音楽を聴く。
好きな友達に会う。
一人でカフェへ行く。
本を読む。
絵を描く。
料理をする。
家族と穏やかに過ごす。

そして、

完璧ではない自分を許す。

何もしないでぼーっとする日も、よしとする。

そんな暮らしを選びたいと思います。

お金も時間もすべてあったら、私は何をする?

もし、お金も時間も十分にあって、

誰からも評価される必要がなく、

「何をしてもいいですよ」

と言われたら、私は何をするのでしょう。

世界中を駆け回る?

大きな成功を目指す?

いろいろ考えてみたけれど、

もしかしたら、

今とそれほど変わらない生活をしたいのかもしれません。

本を読む。

絵を描く。

料理をする。

散歩する。

好きな人と話す。

ときどき旅をする。

そして、静かに暮らす。

そう考えると、

「いつか幸せになるため」に頑張り続けなくても、

私が欲しいものの多くは、もう今ここにあるのかもしれない。

まとめ|心に振り回されず、心と上手につき合う

怒らない人になる必要はありません。

考えない人になる必要もありません。

悲しまない人になる必要もない。

心は反応します。

それが人間なのだと思います。

大切なのは、その反応を「私そのもの」だと思わないこと。

「あ、怒っている」

「あ、考えすぎている」

「あ、疲れている」

と気づいて、

必要なら休む。

身体の感覚へ戻る。

距離を取る。

好きなことをする。

そして、またニュートラルへ戻ってくる。

心を支配するのでも、心に支配されるのでもなく、心と上手につき合っていく。

仏教の智慧から私が学びたいのは、そんな「心の使い方」なのだと思います。

濁ったら、また澄ませればいい。

乱れたら、また戻ればいい。

今日も「今ここ」から、穏やかに。

ABOUT ME
のぶちゃん
のぶちゃん
アート・エデュケーター
私自身はHSP、夫はADHD。とても難しい組み合わせですが、夫婦生活30年やってます。ドタバタ、ケンカの絶えない日々の記録とその考察。 武蔵野美大と武蔵野大学の心理学科卒。「人はなぜ生きているのか」が私の最大のテーマです。 公共建造物のカラーデザイナー、子どもの絵と心のアトリエ、中高の美術講師。 そして今年は還暦。もういい加減に「心穏やかに暮らしたい」が今の最大の夢です。
記事URLをコピーしました